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2016-08-03

12歳の小学生がゴジラを12年待った話

『シン・ゴジラ』の内容については、ここでは書きません。
観る前の話が主になります。


私が物心ついたとき、世は『ゴジラVSビオランテ』に始まったVSシリーズ全盛の時代でした。

ガメラも復活していたし、生まれて初めて劇場で観た怪獣映画は『モスラ2 海底の大決戦』。
ゴジラだけでなく、あらゆる怪獣がそこにいて当たり前の存在でした。
幼稚園児の私はその怪獣バブルに至るまでの歴史や背景など全く知らなかったので、「モスラで単独映画をやるくらいだから、待っていればラドンやギドラの映画もあるだろう」とすら思っていました。子どもって怖い。

モスラもガメラも3作続くシリーズになりました。これも特別なことだとは思いませんでした。

一方ではウルトラマンがグレート→パワード→ネオス→ゼアス→ティガという展開を見せていたので、怪獣っ子には休む間もなく供給がある状況でした。
(媒体もスタッフも違うので歴史上はぶった切って語られますが、当時の自分からすればこの5タイトルは連続していたも同然でした)



98年にはみんな大好き『GODZILLA』が公開。これが、私にとって初めてスクリーンで出会うゴジラ映画でした。
映画館に向かうクルマの中で、楽しみ半分恐怖半分の緊張感に震えていたのを憶えています。

内容は知っての通りで、当時6歳の私も「やっぱマグロ食ってるようなのはダメだな、次」と文句を言っていましたが、MOOKを読み込んでおもちゃ(ゴジラの喉にミサイルをセットして飛ばす、さすがのUSA仕様)も買ってもらったので、それなりに楽しんでいたのだと思います。


1年も経てば『ゴジラ2000』がやって来るのですが、体感的にはかなりの時間が空いたような覚えがあります。
かなりのフラストレーションがあった分、西川伸司先生によるキービジュアルを見た時はその大胆なデザインにゾクゾクしました。

ミレニアムシリーズは、1〜2作目の対戦相手がオルガ、メガギラスという新怪獣だったことが非常に嬉しく、この先はどんな怪獣が出てくるんだろうと、期待はますます膨らむ一方でした。

3作目の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』はすべて既存の怪獣による作品でしたが、設定以上に着ぐるみ自体が巨大化したゴジラや侵略者ではないギドラ、蛾から蜂にマイナーチェンジしたモスラ、狛犬バラゴンなどの斬新な要素のおかげで、新シリーズへの期待が裏切られるようなことは決してありませんでした。




それでも、すでにこの頃から、子どもながらにも巨大特撮映画界はいまひとつ元気がないという実感が強くなってきていました。




『〜大怪獣総攻撃』から始まった『とっとこハム太郎』との同時上映は、正直頭がおかしいと思いつつも個人的には楽しめていて、ハム太郎のTVシリーズを毎週観ていたこともあってかなりのお得感でした。
同時期に出崎統監督の『ガンバの冒険』を観たおかげで10倍楽しめたという要因もあります。

4作目『ゴジラ×メカゴジラ』は、またしても西川伸司先生による機龍のデザインに一目惚れし、翌年の『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』は歴代ゴジラ映画でもとびきり好きな作品のひとつになりました。
過去の作品とキャラクターをしゃぶるだけしゃぶり尽くした状態から、その中のどの怪獣よりも愛する一体=機龍に出会えたことが幸せでたまりませんでした。




ここに来て、『GODZILLA FINAL WARS』の初報を「さらば、ゴジラ。」のキャッチコピーとともに目にした時のショックはあまりに大きく、もはや正確には思い出せません。

見慣れない英語のタイトルに、何をするのか、誰と戦うのか全く予測できないポスタービジュアル。
生頼範義先生の描かれた氷山のようなゴジラの背びれを見て、ゴジラのデザインすら決まっていないのか…と頭の中は不安だらけになりました。



小学校入学とともにようやく始まった「僕のゴジラ」の時代は、その卒業とともに終わることが決定してしまいました。



『〜FINAL WARS』自体は昭和40年代の路線に立ち返った振り切れっぷりで、まさに最高のお祭り映画でした。
それでも本当のことを言えば、あのゴジラのテーマでもなく、そもそもオーケストラでもなく、キース・エマーソンのシンセサウンドをバックに下顎の薄いゴジラが去っていくのを見て物足りない思いをしていたことは確かです。

シアターを出たあと、その後すぐに潰れてしまった地元の東宝直営館のロビーで絶望にくれました。
「これが本当に最終作だとは誰も思っていないはず」「'54年から10年区切りのタイミングには必ず新作が公開している。2014年には確実に戻ってくる」というようなことをしきりに言っていた覚えがあります。気休めでした。
いつか戻ってくるとしても、それが10年後では困るわけです。

自分が子どもであるうちに出会えるゴジラがもういない。
今12歳だから、10年前って言ったら2歳だよ。ありえない。
今までで一番長いシリーズ休止期間が'75〜'84年までの9年間。
マジンガーZからガンダムだって7年しか経ってないのに。

12歳にとっての10年は永劫に近い時間です。
そして、『〜FINAL WARS』で謳っていた「シリーズ総観客動員数1億人突破」がとうとう叶わなかったこともすぐに知りました。
これは60周年まで無理だな、という確信がありました。



それからの10年で、怪獣が「人気のないもの」から「誰も知らないもの」へと風化するのを見ました。



ミレニアムシリーズと同じ頃に再開した仮面ライダーシリーズがみるみる市民権を獲得していくのも、嬉しい一方で正直こたえました。
あまり関係ないかもしれませんが、その間で民放のドラマから時代劇が消滅した時には同情のような気持ちが湧いてきたものです。


自分が未だにゴジラ映画ファンであることに対して、ひがんだり卑屈になったこともありました。
「巨大特撮を観ずに特撮好きを自称するな」といったお決まりの言葉が喉まで出かかったことが何度あったか数え切れません。
そう思ってしまう自分が嫌で、ゴジラを待つことを一旦やめて過ごそうとした時期もありました。無理でした。



2012年頃、新たなハリウッド版ゴジラのニュースがあった時は全く信じていませんでした。
「今更ゴジラなんてやるわけがない、誰も観ないよ」と、天の邪鬼なことしかその時は言えませんでした。

ゴジラ60周年の2014年に公開が決まり、完全な予告編を見てようやく現実を認め、シアターに座って本編が始まった時に初めて「ゴジラが戻ってきた」という実感が湧きました。

エドワーズ監督の『GODZILLA』は素晴らしい映画でした。
それと同時に、これは向こうにゴジラを取られたぞという寂しさもありました(今もあります)。

日本での60周年記念作品の企画が東日本大震災によってリセットされたことは『シン・ゴジラ』の発表後に知りました。



『GODZILLA』の公開後、すぐに和製ゴジラの最新作が庵野秀明・樋口真嗣両監督のタッグで作られていることがわかったわけですが、それこそ信じられませんでした。
あれだけの愛と財力に溢れたゴジラを見せつけられて、本家のゴジラが万一コケるようなことがあれば、今度こそゴジラは日本から攫われていく…という不安が期待を上回っていました。今思うと、失礼極まりない話です。反省しています。


じたばたしているうちに『シン・ゴジラ』は公開。

結局、『〜FINAL WARS』の頃から数えると2倍の年月を生きてしまっていました。
12歳の自分は、今の自分がどういう気持ちと覚悟でこの座席に座ることを期待していたのかと思い出してみましたが、当時あったのは、今よりは良くなるだろうという根拠のない期待と、ある意味で復讐心のような屈折した気持ちだけでした。


私は、かつて私自身があれほどの必死さで未来に向けて送信したはずの感情をほとんど無視して『シン・ゴジラ』を楽しみました。
その結果として言えるのは、「12歳ごときのお前には想像すらできないほどの体験ができるぞ、すごいゴジラだぞ」ということだけです。


この先、シリーズ映画としてのゴジラが続くかどうかはわかりませんが、続くこと自体を何より願っていたはずの私の12年は『シン・ゴジラ』1作の119分間で完全に清算されてしまったということです。恐ろしい。
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初めまして

初日に見てきました。私も小学校卒業するかどうかでfinal warsを見て、「ゴジラはもう見れないのか」と、レンタルショップの一角に埋もれる存在になってしまうのかと悲しみましたが、ギャレス版までの10年間ですっかり(自分の中で)過去の遺物にしてしまいました。
シンゴジラ公開が決まった時は、昔の興奮が甦ってきたようで何とも言えない高揚と一抹の不安があり、それは公開日までに膨れ上がって鑑賞後に弾ける事なく収束しました。
良い点もうーん…という点もまだまだしっかり整理しきれていないのですが、また和製ゴジラをこの目で見れたことが幸せです。

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Author:むねみつ(新)
霧矢あおいホノオな生活。

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